宮城県名取市視察調査報告 2012.03.22
- 2012.03.22 Thursday
- 22:06
「宮城県名取市視察」が
タウンニュース(2012年3月29日付)に掲載されました!
→コチラから
1.日 時 :平成24年3月10〜11日(2日間)
2.訪問者 :仁田昌寿・藤井しんすけ・竹内康弘・中島光徳
記録セレ プロダクツ(橋口)
3.同行者 :星居敬子市議会議員 菊地忍市議会議員
4.調査項目
[1]復興仮設店舗 閖上(ゆりあげ)さいかい市場の状況(2月オープン)
[2]津波被害状況(閖上(ゆりあげ)地区 町内会長高橋善夫様)
[3]名取市市議会議員懇談(星居敬子・菊地忍議員との意見交換)
[4]名取市 ゆりあげ港朝市を会場とする、
3.11復興イベント(ゆりあげの集い)の開催状況
5.調査内容
[1] 閖上(ゆりあげ)さいかい市場視察(名取市復興仮設店舗)
市場入口付近
佐々木酒造店にて
被災した酒造のタンク
タンクの中は無事で、販売している閖(ゆり)
【視察内容】
創業明治四年名取市の地酒を販売する佐々木酒造店にて懇談。
2枚目の写真中央の佐々木酒造店さん(佐々木市長奥様)に被災当時の状況と
さいかい市場が今年2月にオープンした経緯を伺った。
この市場は被災からの復興祈願!「事業の再開」「お客様との再会」を目指し、
多くの皆さまの絆によりオープン。
「今回の大震災で被災したお店がオープン出来て本当に嬉しく思います」
と語っていた。
[2] 名取市美田園第一応急仮設住宅 高橋善夫自治会長との意見交換
高橋会長が住んでいる部屋で意見交換
仮設住宅の集会場を視察
【視察内容】
名取市の先人碑には「地震が来たら津波が来るから高い所へ逃げろ」が刻まれ、
受け継がれて来た。高橋会長は(3.11以前)からゆりあげ地区の町内会長を
永年務めてきた。これまでゆりあげ地区には高台がなく市役所へ要望を出してきた。
今回の震災を経験し、大被害になった要因が3つあった。
● 一つ目にゆりあげには、津波が来ないという考えがいつしか地域に根付いて
しまっていた。
(何故だか要因は分からないが、建物等が増えて行く中そう感じたのかも知れない、)
● 二つ目に1年前(2010年2月28日)のチリ地震で発生した津波が三陸沖に
達すると、大津波警報(3〜5m)が出されたが、実際は50cm程度の津波で
あったことから。
(今回の警報では6mの津波予測の信俵性が揺らいでいる中でのものだった。)
● 三つ目に防災無線が作動せず市民に伝わらなかった。
市役所内にある防災無線機器は3階にあり、職員はモニターにより
避難指示が流れていると思って放送していた。
しかし屋上の発信設備が壊れていて、市庁舎外の放送されていなかった。
以上の三点が重なり被災者が増えてしまった。
会長は当日、今までにない揺れを感じ、津波が来ると感じた。
すぐに夫人に公民館に避難するよう指示して、町内の人たちに避難を呼びかける為に
外に出た。避難途中、貞山運河(広浦)の水が全てなくなっているのを見て、
さらに津波が来る事を確信した。自分が動ける範囲で勢一杯の呼びかけを行った。
しかし津波は来ないと思い込んでいた人達は呼びかけても避難しなかった。
それが致命的な結果になってしまった。
さらに公民館が一杯になる事が予測できたため、中学校へも行く様に指示した。
会長は公民館へ避難し、要介護者を2階へ運んでいた時に津波が来た。
1階にいた会長の家族は救えなかった。夫人は民生委員を務めていた。
地域の方を車に乗せ向う途中で津波にのまれ亡くなった。
民生委員をしていて、地域のお年寄りを2人公民館へ避難させるため、
車に乗せて助ける途中だった。(後で発見された時、分かったとの事)
家にライフジャケットがあれば、もう少し命を救う事が出来たかも知れないと思ったとの事。
<意見交換会での質疑>
・事前の防災訓練の実施内容は?
ゆりあげ港は平成13年に改修した際に、婦人の方からの要望で自主防災組織を作り、
訓練等をして来た。
神奈川県海老名市でも防災の講師として話をさせて頂いた時にも話したが、
命が助かる方法は地震を感じたらすぐに高台に逃げる事と、家族で逃げる場所
(安全な避難場所)を決めて置く事が本当に大切です。
H17年地震津波フォーラムを実施し、津波等の防災啓蒙もしていた。
また耐震対策としての耐震診断をしていた。しかし400万〜800万もかかるため、
経済的な問題で実施できた家は少なかった。
・3月11日以降の状況は?
当日の夜は寒くて眠れなかった。助かった人たちで公民館にあったカーテンや物置きに
あったお祭りで使う衣装等ある物は全部使い、毛布代わりにした。
12日になっても公民館には(市役所)からの物資も届かなかった。
当地区の住人は津波で全員流されたとの誤報もあり、時間が掛かった。
翌日は会長の指示のもとトイレの使用方法についてルール(紙の上に汚物をして
1回1回紙で包みビニールに入れる)を決めた。公民館にいた生存者の名簿を作成し、
救助が来ているゆりあげ中学校へ持っていった。
避難所の運営は事前の訓練が本当に大切だと思った。(自主防災訓練を実施していた)
12日夕方には自衛隊の救助により避難所を移動した。
・仮設住宅の会長として
現在の仮設住宅を作る時、会長からの要望でなるべく同じ地域(町内)で顔見知り
の方が集まって居住できるようお願いした。行政は抽選で決めようとしていたが、
反対し現在に至る。精神的な面を考えると、本当によかったと思う。
現在仮設住宅は128世帯270名がいて、高齢者が多い。
集会所では、毎週木曜日にイベントを実施してなるべく1人にはしないようにしている。
また広報は各戸へ回覧せず、集会場に掲示することで、屋外へ出るよう促した。
仮設住宅の問題は沢山あるが、その中にお風呂の仕様で問題があった。追い炊きが無く
直ぐに冷めてしまった。 仮設住宅は隣接しているため、火事が本当に怖く、石油ストーブ
は禁止にした。全てエアコンにして、1台の設置を2台にしてもらった。
[3] ゆりあげ港朝市を会場にした名取市
3.11復興イベント(ゆりあげの集い)
ゆりあげ港朝市入口
3.11復興イベント(ゆりあげの集い)
横浜市婦人の手作りバック寄贈(小学校新入生へ)
ゆりあげ港朝市全景
【視察内容】
3.11 ゆりあげの集いが、旧ゆりあげ港朝市会場で1日だけ開催された。
会場には多くの方が訪れて、様々なイベントが行われた。
朝市の桜井理事長にも現地でする事ができ意見交換した。
ゆりあげの朝市は3.11に壊滅的な被害を受けたが、桜井理事長を中心に
2週間後には、場所を変えて復活し、閖上(ゆりあげ)の復興は
「まずは僕らが元気になって復興するしかない」との思いで続けてきた。
また会場にて横浜市のご婦人より名取市の小学校新入生へと預かった
手造りのバック等を贈呈した。
6.総括
今回名取市を訪れて、高橋会長の話を伺い、正しく知識を持つ事前の防災訓練が
大切で、様々な被害想定が必要であることが分かった。
また災害時直後は避難拠点でのルール作りが大切であり、高橋会長の様なリーダー
が必要と感じた。
仮設住宅の運営面のお話も非常に参考になる事が多かった。
復興を目指して、1年が経ったが、津波被害地域である、ゆりあげ地区に戻るのかは
様々な議論があり、今後も決定までには時間が掛かるように感じた。
現在も多くの方が仮設で暮らしている為に、復興支援としてはハード面・ソフト面の
両方が必要になっている。
被災地の方から望まれる支援をして行きたいと思う。
JUGEMテーマ:関東・東北大地震〜被災者に応援メッセージを送ろう〜